FW1、第2クールの発表会。もうイヤになるほど繰り返すが,水質指標生物を調べて水質階級(もちろん簡易法の「きれいな水」「少し汚れた水」というアレだ)を出して,それで川がきれいかどうか判定してハイおしまいというグループの何と多いことか!もう、このままでは指標生物による水質調査は、教育上害悪以外の何ものでもない。水生生物の専門家の指導の元に行える場合を除き,高等学校以下の学校では,水質指標生物についての学習をすべきではないとさえ思えてくる。川の環境問題イコール水質問題という観念を植え付けられ、それ以外の問題の存在に対してまったく盲目となってしまう上(はっきり言えば,私はこの手法が国によって普及させられたのは、それが目的ではないかとさえ思えてくるのだ)、「水質」の中身をまったく理解せずに「きれい」「少し汚い」というレッテルを貼るだけだから、「水が少し汚れているからゴミのポイ捨ては止めるべき」というとんちんかんな解決策に行き着くことになる。高校までにこんな半端なことを教わってくるぐらいなら、白紙の学生に大学で一から教えた方がはるかにましだ。だれか教育系の大学院生で、真剣に、指標生物を使って本当に環境教育に役立つ新たな教育プログラムを考えてくれる人はいないか。このままではダメだ。本当にダメ。
もっと具体的にその弊害が分かるように、実際に教育現場で私が遭遇した「指標生物による水質判定」の例を挙げてみよう。
ある大学。学生実習で、ある川の隣合った瀬と淵(コドラートの距離は2mぐらい)で水生生物の採集を行った。採集された生物をもとに水質判定を行ったところ,瀬の水質階級はI、淵の水質階級はIIと判定された。そこで大学生の出した結論は「淵は瀬よりも水質が悪いということがわかりました」だった。
ある高校(地元では有名な進学校)。とある公園の水路で水生生物の採集を行った。そこは地下水をポンプアップして流している人工水路なのだが,冬の間、整備のために数ヶ月水を止めており,工事が終了して再び水が流れ始めてから約1ヶ月後に調査が行われた。調査の結果,発見された水生生物はユスリカだけだった。そこで高校生の出した結論は「この水路はユスリカしかいないので『大変きたない水』であることがわかりました」だった。
これが、指標生物を通して彼らが学んだ「環境」だとしたら、なんとも寒い話ではないか。