川と公共

FW1第2クール、バスツアーの日。

河川改修が現在進行中のY川では、今日も工事をしていた。しかし、これはどう見てもアナクロとしか言えない、ひと昔前の「他」自然「型」工法である。右側のレーンのようにまず大きな玉石を等間隔に配置し、あとからコンクリートを流し込んで石の頭だけを出すらしい。こうして実際に見てみるとかなり手間(=お金)のかかる工事をやっているようだが、結局は人工ボルダリングのごとき河床になってしまうというわけだ。滋賀県は公共事業のやり方をもっと検討しなければいけないのではないか。私も県の公共事業評価監視委員会のメンバーだが,中小の公共事業については一々監視委員会に上がっては来ない。

Y川で生物採集に出向く学生。私は水生生物調査の学生たちに付き合っていたが、今日同行して下さった植物のプロMさんによると、川の近くに「いいもの」が咲いていたらしい。残念なことに見逃した。あとでこっそり写真を撮りに行こうか。

Mさんのお話タイム。水利権をめぐる集落同士の争いの歴史について。
帰りの道すがらMさんとお話をする時間があったので、予てから感じている滋賀県民の自治意識の強さについて、Mさんに尋ねてみた。やはり、戦国時代頃から支配者が何度も入れ替わり、その度に政治方針も変わったりしたため、住民は「自分たちの村は自分たちで治める」という気質を強く持っていて、「お上」にあまり依存しないということであった(昔は犯罪者の処罰さえ、お上からのお達しが来る前に集落で自主的にやっていたというちょっとオソロシイ話である)。江戸時代のI氏もあれほど長く藩主だったのに、年貢の取り立てが厳しいので嫌がられていたという。なるほど、だから滋賀ではゼゼラ(身がやわいので煮付けると首がもげやすい)を「Iさん」と呼ぶようになったのだな。