うれしやハンザキ虫論文の受理通知.ということで、今日はハンザキ虫研究の経緯について少し語る.
ハンザキ虫ことLiolope copulansは、1902年の記載以来,長らく一種でLiolope科を形成してきた特異なムシだ。現在では同科はおよそ10種ほどで構成されているが,ハンザキ虫以外はカメやワニなどの爬虫類の寄生虫である.それから近縁の別科のムシがいるが、この宿主はカモノハシだ。宿主のラインナップを見てもわかるようにこの科の起源は古いと予測されており、吸虫の系統進化の中で重要な位置を占めると考えられていたが,分類学的な研究は遅れており,ほとんどの種類が原記載論文しかないような有り様で、生活環のわかっている種は一つもなかった(当然,分子系統の研究もなし)。ハンザキ虫も宿主が特別天然記念物なものでめったなことでは解剖できず、標本の入手さえままならない状態だった.
この状態に風穴を開けたのは首都圏にある某水族館の学芸員の方だった。飼育している魚に奇妙な腫瘍ができ、どうも寄生虫らしいということで師匠に相談したのである.腫瘍の正体はハンザキ虫のメタセルカリアで、病魚の隣の水槽にハンザキが飼われており,時々オーバーフローした水が魚の水槽へ流入することがあったという。ハンザキ虫の水槽にいた貝類はカワニナだけで、これが中間宿主であることは間違いなかった。しかし、師匠はこの時水槽内のカワニナからハンザキ虫を見つけることができなかった(おそらく感染貝は既に死んでしまっていた)。
ところで師匠からこの経緯を聞いたとき,私にはピンときたことがあった.10年以上前になるが,近畿地方のある河川でカワニナ寄生虫調査をしたとき、オオサンショウウオの棲む川から正体不明のセルカリアがごっそり出てきたことがあったのである。幸い,標本も残っていたので改めて観察してみると,当時は見落としていた特徴に気がついた.ある器官の形状がハンザキ虫の親虫と同じだったのである.これは間違いないと思い、BB君の卒論テーマとして、感染実験による全生活環の確定に取り組んでもらうことにした.
こう書いてしまうと、最初から答えのわかっていた易しい卒論テーマのように思えるかもしれないが,実は感染実験はかなり大変だった。セルカリアを出している貝と第二中間宿主を同じ水槽に入れておくと,普通はそれだけで気持ち悪いほどびっしりと感染するものである。ところがハンザキ虫は全然感染しない。BB君はかなり工夫して特に密度を濃くしたセルカリアに魚を接触させ、ようやく感染にこぎ着けた.あとで詳細な形態観察をしてわかったのだが,ハンザキ虫のセルカリアは他のセルカリアと違って,感覚毛や感覚乳頭を持たない.どうも、宿主を見つける効率が非常に悪く、受動的に衝突しない限り感染できないらしい.おそらく、オオサンショウウオの住み処である渓流では、自力で宿主に向かって泳ぐ能力など役に立たないのだろう.
これと平行して,日本はんざき研究所の協力を得て,ハンザキが沢山飼われているプールにカワニナを沈めて感染させる実験もした。これも結果が出るまでに2年かかった。わかったことは,カワニナの中でのハンザキ虫の成長は非常に遅く、感染から2〜4ヶ月ほど経って,まだ母スポロシストのままなのである。娘スポロシストの中にセルカリアが形成されるまで,最短でも7ヶ月以上を要する遅さだ。実験室で飼育してこれなのだから、水温の低い山地渓流ではもっと成長が遅いかもしれない。なんともスローな寄生虫である。
このようにゆっくり育ち,第二中間宿主の魚に衝突するかどうかは水流まかせという暢気なハンザキ虫であるが、それも終宿主のことを考えれば納得できる。幸運にもオオサンショウウオまでたどり着ければ、百年近く安住できる環境が約束されるのだ。ちなみに、寄生虫の成虫は繁殖以外にやることがないので、通常はやたらに産卵数が多い.ところがハンザキ虫はおそろしく大卵少産型の寄生虫で,1匹が胎内に抱えているのは数個までであり、たぶん年間産卵数も多くて数十個というところだろう(もしかすると数個かもしれない)。長生きできるのだから、急いで無理に繁殖する必要はないとでも言いたげである.
とにかくこれでLiolope科の生活環がはじめて明らかになったので、今後は同科の他種でも生活環の解明が進むだろうし,ハンザキ虫そのものについてもぐっと研究が容易になった。オオサンショウウオの死体が手に入るのを待たなくても,カワニナさえ集めてくれば簡単に標本が手に入るようになったのである。生活史や発生過程などでまだ検討すべき点が残っているので,ぼちぼちと進めていきたい。
ところで、吸虫研究者にとっては長年の謎であったハンザキ虫のセルカリアだが,実は私のHPでは10年前から公開されていて(笑)、「寄生虫フォトアルバム」の2ページ目の一番上のセルカリアがそれだった。一両日中に解説文を書き換えるのでしばしお待ちを.