標本は大切に

病院で定期検診、とにかく待ち時間の長い病院なのでノートパソコンを持ち込んで仕事をし、だいぶはかどった。検査結果に変わったことは何もなく、医者から「まだまだバッチリイケてるねえ」と謎の言葉をもらう(同じ病院にかかったことのある職場の某氏は「貴方はポテンシャルが高い」と言われた由)。
卒論生N君の研究対象であるムシについて、最近の分類学論文にも模式標本のことがまったく記載されていないので、おそらく既に遺失したのだろうと思っていた。念のため師匠に問い合わせてみると、模式標本は既に存在せず、某大学に「その昔(戦前の話)にかなりの内紛があり、そのとばっちりで捨てられてしまった」という遺失の経緯が言い伝えられていることを教えていただいた。もちろん、そんな経緯の文書記録は残っているはずがない。今なら教員対教員のアカハラパワハラと言われる事態なのだろうが、勿論当時はそんな言葉は存在しないので、そんなイザコザは日常茶飯事だったのかもしれない。そんな内輪のトラブルは大抵の場合時間と共にうやむやになっていくものだが、この場合は人だけではなく模式標本までが被害を被ってしまったことから、一つの大学内のごたごたが今に至るまで「模式標本遺失の理由」として研究者間に語り伝えられることになってしまった、というのも皮肉な話である。半永久的に保存されるべきものである模式標本を粗末にすると、末代まで祟るのだ。