大学運営にも多様性を

私が大学院生の頃、私の出身研究室では、伝統的に教官人事に大学院生が参加することになっていた。もちろん最終的な決定権は教官にあるのだが、人事が始まるときはまず院生会議でこの研究室にどのような人材が望ましいのか話し合い、国内を中心に候補者となる生態学者をリストアップし、応募文面を検討し、応募者が出揃うと院生が手分けして論文を読み、批評し、採点するということをやっていたのである。教官が多少議論を誘導することもあったが、候補者が絞り込まれる段階まではかなり院生の意見は尊重されていたと思う。いつからこのようなシステムになっていたのかは知らないが(おそらく大学紛争の時代ではないかと思うが)、当時の教官の面々はそれを許容して継続していた。おそらく、それを通して院生がめぼしい生態学会員の研究内容について勉強し、それを評価する能力を身につけることを期待してのことだろう。しかし、自分が当時の教官と同じ年代になった今、あらためて振り返ってみると、当時の教員は院生の能力をとても信頼してくれていたのだな、ということがわかる。もしかすると、年をとった教官よりも若い院生のほうが、将来性のある最前線の研究を嗅ぎつける可能性があることも期待していたのかもしれない。いずれにせよ、人事選考に年齢や立場の違う多様な意見が反映されることはとても良いことのはずである。そういう選考方法を頑として嫌い、似たような立場の少数の人間だけでこそこそ人事をする大学や学部は、何か若手を信頼できない理由でもあるのだろうか。