自分の眼力を信じて、でも謙虚に

学生の論文指導をしていて、困ったなあと思う研究姿勢の代表は次の2つだ。
1.最初から「結論はこうだ」と思い込み、それを支持する結果が出なくても強引に「そうだ」と結論付ける。在来種に対する外来種の影響などを研究している場合に、「悪影響がある」という結論以外ハナから考えていない、というのが典型パターン。
2.逆に、実験や分析をするに当たって何の予測も持たず、手元のデータで適当に何かの解析をやってみて、それで得られた結果が事実だと思い込む「検定おみくじ信者」。5%以上か以下かですべて白黒をつけてしまうタイプ。
当然ながら1はサイエンスを学ぶ者として論外である。科学教育とはそういうプレジャッジな態度をひっぺがしていくことだと言っても過言ではない。ところが、検定やモデル結果を突きつけられて自分の予測(というか思い込み)を一度否定されると、その途端に第2のタイプに陥ってしまう学部生や院生は実に多い。当たり前だが、検定やモデルの結果は万能ではない。査読付き論文で、コントロールされた条件下での実験結果解析に使われた検定結果なら、たいていの場合は信じてもOKだけれど、野外調査の場合はまったくそうではない。データ数や調査時期、測定した変数などによって結果は簡単に変わってしまうし、原因と結果の因果関係はまずわからない。せいぜい、「AとBの要因は関連があるかもしれない」という「アタリ」をつけるぐらいの役どころだ。そんな結果ですぐ「関連がある」「ない」と言い切ることはまったく正しくない。生態学の場合、関連の有無を論じるには操作実験の結果を待たなくてはならないのである。
そして、アタリを付けるだけなら、実は検定もモデルもいじる必要はないのだ。ただ野外調査をたくさん丁寧に行って、現場を見る目を養えばよいのである。操作実験を含まない野外調査結果に適用される検定やモデルは、自分が直観的に「これはこうかな?」と思ったことを、単に数値に変換する手続きだと思った方が良い。検定やモデルはただ計算するのではなく、適切なモデルや検定法が選ばれ、適切な変数が投入できていること何よりも大切だが、十分な調査経験と先行論文の研究なしにそれを行うことは困難である(大抵、やっただけムダな結果に終わる)。まずはフィールドを広く深く見て、自分で生物とその周囲の環境を見る目を養い、面白い仮説を考えつけるかどうかが一番大切なところだ。ただし、調査結果をまとめて公表する時には、思い込みに囚われず、謙虚で冷静であること。自分の期待した結果が得られなかったのはデータ数が不足していたり、見落とした要因があるのかもしれないが、それを言い訳に自分の仮説をごり押しするのは絶対にダメである。そうではなくて、次にはどのような実験や調査をすればより明確な結果が得られるのか、失敗を糧にして考え直さなくてはならない。