来年度FWでは野外実習時間をやや短縮する予定であるため、バス見学ルートの見直しの必要があり、下見のためA川中流域へ出かけた。何しろ,こちらの注意をちゃんと聞いているかどうか怪しい一年坊主どもを50人も連れて歩かなければならないので、川の生物を見せるのにA川本川へ降りるのは危険すぎる。そこで、周辺に手ごろな広さで安全な水路がないかどうかを探しに行った.幸い,目星をつけておいたところで十分実習ができそうだった.ところで現地に着いた時、同行のY.S.先生が「この対岸にも霞堤があるみたいですよ」と仰るので,それならと一同でそちらへ行ってみた.

右端にみえているのがA川の堰で、その隣に曲がって伸びている未舗装道が外側(河川側)の堤防,私たちが立っているのが内側(集落側)の堤防である。2つの堤防の間に切れ目があり,洪水時にはここから水が逆流して正面の水田に溜まる仕掛けになっている。ここは実際に2つの堤防の上を歩けるので非常に構造がわかりやすい。周辺の集落も昔ながらの雰囲気を残しており,河川近辺の土地利用を調べてみるのも面白いかもしれない。これは良い場所を見つけたと一同大喜びする.
帰学後、隣の学科のO先生の学位論文発表会。内容は「なぜ琵琶湖は国立公園にならなかったのか?」ということがテーマで,戦前の琵琶湖で一番の景勝地は湖東の内湖群だったとか(国立公園候補から外れたのは,内湖群が干拓で失われたことが一つの大きな理由らしい)、当時のスキーは今とは違い登山のように「自然に触れる」という性格の強いスポーツだったとか(リフトが殆どなかったため)、戦時下には青少年の鍛練目的で都会から近場の登山コースやスキー場が重視されたことなど、へえと思うことをいろいろ聞く。