昨日に続き,今日は「共著」ということに関するやや偏った私的見解.
論文の共著ということに関する私の水準は、世間一般よりかなりハードル高めである.基本スタンスは「その論文の内容に関して責任の一部を負うこと」であり、アドバイスや研究の便宜を図ったという程度であるなら、共著になるのではなく謝辞に名前を挙げるべきだと思っている.これは多分に出身研究室の風潮のせいで、実際、当時の私の出身研究室では、院生の論文に教員が連名するケースはほぼゼロであり、私の業績にもそういうのは一つもない.さらに私見を言えば,アドバイザーが指導教員である場合,謝辞に名前を挙げる必要性さえない。教員が学生を指導するのは職務であり,それで報酬を受けているのだから、改めて感謝される理由などないからだ。
ところで、大学を渡り歩く生活を送るようになって,こういう主義を貫けない状況にぶつかっているのもまた事実である。研究分野(何とはいわないが)によっては、論文内容そのものにはぼノータッチの貢献でも共著にするのが慣例という場合もあるので、異分野の研究者との共同研究の際には少し気を使う。また、以前勤務した大学では,指導教員には謝辞を献呈する必要なしという私の見解に忠実に従っていた大学院生が、修論審査の際に副査の教員から「失礼ではないか」とクレームをつけられるという事態も起きた.この件に関しては各大学や研究室の「常識」がバラバラであるため、個人的には明快な理由を有していたとしても、いつもそれでいくという訳にいかないのが苦しいところである。