なぜ途中式を書くか

私はもう教育学部の教員ではないけれど、こういう問題にはやっぱり反応せざるを得ない。nakataさんのこの記事、教育現場では結構大きな問題だと思う。そもそも結果を出すためにいろいろな要素に分けてそれを計算したりなんかするのは、要素に分けたほうが原因と結果の因果がつけやすいことと、それぞれの要素の重要性の程度がわかるため、結果を操作できるようになるからだ。だから現実の環境問題の解決策を考えたり、対立する意見の調整をしたりするときに要素に分けて考えるというのは必須のプロセスとなる。もし他人の出した結果だけを鵜呑みにしていれば問題解決はできないし、他人と意見を調整したりすることもできなくなる。自分の意見を分析して考えることのできない人間は理路整然と説明することもできないから、そういう人が雑多な見解を持つ大勢の中で自説を通そうとすれば、何らかの暴力的な手段に出るのは明白だ。そんな人間を育てないように、教育現場におられる方には結論に至るプロセスの説明の大切さを今一度認識してほしいし、大学の人間としては、その大切さを実感できるような教育プログラムを考えなければならないなあと思う。

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