院生の論文×2に赤ペン作業をしていると,つくづく思うのは「自分の書きたいことではなく,相手が知りたがっていることを書く」ということの難しさである。最初から完璧な研究計画を立てて,計画通りにデータを集めて解析する能力のある人はそれで結構だが、私のような凡人は,データ収集を始めたあともかなり試行錯誤するので,いざ論文を書く段になると,使わない・使えないデータが結構沢山出るものだ(そして,そういう無駄な個所に限って,データ収集の労力だけはすごかったりする)。そういう時,よくあるのは,論文のストーリーに大切な場所ではなく「自分が頑張ったところ」をついつい熱を入れて語りたくなるという症状だ。いくらデータを取るのに努力した部分であっても,話の本筋に関係がなかったり,何かの問題があって「使えない」データだと判明した時は、そこを冷静に切り落とさなければならない。論文を読む人は最小限の労力で結果を知りたいのであるから、無駄な情報は極力削るべきなのである。
思えば、私にとってそういうトレーニングとなった最大の経験は、大学院生の時にアルバイトしていた公務員予備校での授業かもしれない。公務員試験に出る生物の問題は2題しかないので(今は知らないが)授業のコマ数も少なく,わずか7回の授業で高校3年分の生物の範囲をすべてカバーするという無茶を強いられた。当然,ひとつひとつの説明を丁寧にする時間などなく,試験に頻出する部分だけを抽出して,如何に手短に説明して効率良く覚えさせるかが講師の腕の見せ所だった訳である。あの経験が,自分の喋りたいことを我慢して,相手が必要としている情報だけをコンパクトに提供する練習として、けっこう役に立っているような気がする。