人の振・我が振

大津の中学生のいじめ自殺に関する報道で、私には勿論自殺した子の辛さなど測り知ることができないし、学齢期のお子さんを持つ親御さんたちの心配も推察するしかできないのだけれど、こと「教育機関の隠蔽体質」という一点に関しては自分自身の経験にびりびり共鳴するので、結構しんどい。教育機関の隠蔽体質は必ずしも保身のためにだけ生じるものではない。保身の必要が全くない場合でも、学生の前では、学校は良き場所であり、楽しい青春の思い出の場であるという幻想を壊すのは大変に躊躇されることだ。事実の暴露は、いくらそれが事実だといっても行為としては醜いものであるし、「知らない方がよかった」と恨まれることさえ覚悟しなければならない。知らぬ存ぜぬで隠していた方が、世間的にはずっと「いい人」でいられるのである。現に私も「あなたの評判が悪いから(本当にこう言われた)そういうことは公言しないように」などと意見されたことがある(注:県大に来る前の話)。それでも、隠蔽を続けることは当然組織に腐敗をさらに抱え込むという悪循環に陥るわけで、そうならないためには、内部の抱えている諸問題を絶えず積極的に表に出す努力をしないといけない。私はこのブログでウチの大学の体制で問題だと感じたところをよく書くので、他大学の学生さんがここを見たら「県大は問題の多い大学だ」と思うかもしれない。しかし、これは大学人として隠蔽体質に陥らないための、私なりの努力の一端なのである。体制の問題点や不祥事の噂を聞かない大学であっても、そういう事実が学内に存在しないということにはならないのだ。