昨日、ひょっこりと環境生態の卒業生のブログを見つけてしまった。ヒヒヒ。
そこにあった書き込みによると、ある卒業生が、自分では「問題だらけ」だと思って提出した卒論がノークレームで返されてきたので、「教員は完成槁を読んでいない」と確信したようだ。確かにそれは教員が悪い。何度も書くが、大学教員は(研究ではなく)教育で飯を食っているのだ。学生が読んでもらうために提出した卒論を読まないのは職務怠慢だ。
とはいえ、物事は前向きに考えるべきだろう。せっかくだから、学生諸君にもこれを機にこう言ってみようじゃないか。「教員が読まずにはいられないような卒論を書いてみろ」と。
学生諸君にとっては4年生の大半の時間を費やした渾身の卒論であっても、2月ともなれば、教員側は1日で何人分もの卒論に赤ペンをする羽目になっている(M2がいれば修論も同時に読んでいる)。そういう中で、「先生の指示通りに研究をやってまあまあの結果は出た」という程度の卒論では、単位はもらえるだろうが、多分「読んで」はもらえない。読まなくても内容はわかりきっているからだ。キミたちが教員に「読ませる」ためには、キミたち自身が卒論の内容に自信を持ち、教員を「動かしてやろう」と思わなければならない。何か一つでよいから「こんなに面白い結果が出たぞ」「これだけのデータは先輩たちのだれも集めていないぞ」「こんな視点は今までこの研究室のだれも持っていなかったぞ」「これを読まなかったら損するぞ」というものを携えて来て欲しい。そうすればこっちは嫌でも読む羽目になるだろう。
なお、「私はこんなにがんばった」という努力点で○がもらえるのは基本的に学部生まで。大学院では学位は自分でもぎ取るものだ(もちろん実社会での成果も然り)。「こんなにがんばったのに認められない」という不服は単なる甘えであり、通用しない。成果が上がるまで努力を続けるしかないのだ。もし客観的に見て認められるレベルに達しているのに指導教員や上司が認めようとしないのであれば、それは教員あるいは上司がバカなのであるから、さっさと見限って転学や転職をすればいい。成人であるキミらにはその自由がある。
さー、がんばれよー。