元京大生の呟き

「柳田充弘の休憩時間」より。
http://mitsuhiro.exblog.jp/3440412/

(前略)こういう出来事と結びつけなくてもいいのかもしれませんが、しかし、わたくしが前から憂慮しているのは、京大が研究より教育を重視するとしたことです。これは大きな誤りだと思ってます。(中略)
結局、大学では、精神性の高さが一番問題になるのだと思います。特に京大みたいなところでは、研究面での教員の精神性の高さが問われてるのでしょう。それしか、取り柄のない大学だったはずです。(後略)

昭和46年以来の京大の教員である柳田先生と,凡百な一学生としてたかだか数カ年を過ごした私とでは,「京大とはかつていかなる大学であったか」の認識が全く異なるのも当たり前だろう。柳田先生の論は「高い精神性を持ち,優れた研究をしていれば,必ず学生はそれに感化されてモノになる(あるいは,モノになる学生が何人か現れれば,京大は十分大学としての使命を果たしたことになる)」と解釈してよいだろう。
勿論,そのようなすばらしい教官,優秀な学生は過去も現在もたくさんいるだろうが,凡百の学生はどうなったのだろう。京大は周知の通り極度に放任主義の大学で,学生のすることに対して責任を持とうという教員は,少なくとも私の回りにはほとんどいなかったような気がする(あるいは口だけで,実際にどうやって責任をとるかを知らない)。「ついてこない学生のことは知らない」という風潮は,今度の事件とは関係がないのだろうか。