元旦相模川巡り

あけましておめでとうございます。このところ、新年は実家近くの川などを見て歩くのが恒例になっています。今年は相模川中流相模原市南区の新磯地区です。現在住宅地の広がる相模原市の大部分は台地上にあって水の便が悪く、戦前はほとんど人の住まなかったところですが、相模川沿いは古くからの集落があり、このあたりにも広々とした敷地に屋敷林を備えた立派な旧家をよくみかけました。去年の台風19号相模川の水位が最も高くなった地点にも近く、相模川の治水・利水上もいろいろありそうな場所です。

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支流の鳩川・道保川の放水路。相模川の自然堤防を開削して作ったようです。これができる前は鳩川周辺は相模川の自然堤防の内側を流れており、当然溢れやすかったことでしょう。「下溝」という地名が納得できます。

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鳩川放水路が相模川に合流する地点は「三段の滝展望広場」というのですが、この落差を鑑賞する気になる人はいないでしょう。ここは放水路で自然河川ではないとはいえ、もう少し景観センスのある人に再設計してもらいたいものです。

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相模川に沿って磯部堰へ。相模川左岸の海老名から茅ヶ崎までの農地を潤す、重要な取水堰です。魚道が旧式ですね。

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床固めに投入されたテトラポットがカワウのよい休み場所になっていました。

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取水堰の周辺は流れが複雑らしく、至るところに危険を知らせる看板がありました。土木工事も進んでいます。相模川は、自然に配慮した改修にはまだ遠いようです。

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磯部からねこ坂を上って勝坂遺跡へ。縄文時代の住居跡や土器が発掘されている遺跡で、このあたりは古くから人が住みやすい場所だったことがわかります。

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復元住居のある高台から照葉樹林に覆われた段丘斜面を下がると、有鹿神社

の奥の宮がありました。本社は海老名市の鳩川が相模川に合流する地点にあります。奥宮の場所は段丘面の水の湧き出る湿地にあり、おそらくここが鳩川の水源と思われていたのでしょう(実際はもっと上流)。勝坂遺跡の縄文人も、ここへ生活用水を汲みに来ていたに違いありません。

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勝坂からやや下がったところにある鳩川本川。今はありふれた直線の都市小河川ですが、放水路ができる前はかなり流量があったはずです。この川沿いに展開する集落の歴史を追ってみるのも面白いかもしれません。