ロシアの研究者から頼まれて,京大にある100年以上前の魚類寄生虫の標本を閲覧しに総合博物館へ出向いた。標本リストには確かにその寄生虫の学名があり、原記載者(川村多実二大先生)が自ら残した標本であることも確かなので,現存していればタイプ標本の第一候補となるものである。
博物館の特任助教Nさんと教授のMさんの立ち会いのもと、標本庫で「これですね」と示されたビンは、想像よりもだいぶ大きかった。通常,寄生虫を保存するビンのサイズではない。中にはなにやら灰色の大きな塊が入っていて,よく見ると宿主の内臓の一部のようだ。どうやら、虫体を取り出して標本にしたのではなく、寄生部位を丸ごとホルマリンに浸けたものらしい。かなり乱暴である。
目当てのムシは2,3ミリの長さがあるので肉眼でも十分見えるはずなのだが、宿主の内臓にもビンの底にも、それらしきものは見当たらなかった。実験室で実体顕微鏡を借り、ビンの中身を採り出してこまかくチェックしたが、どこにもムシはいない。どうやら既に紛失してしまっているようである。採集者が宿主の臓器ごと標本ビンに入れる際に取りこぼしたか、その後液替えの時に間違えて捨ててしまったものだろう。2、3ミリの白っぽい塊など、寄生虫がどんなものか知らなければゴミと間違えて捨ててしまったとしても不思議はない。
かくして標本調査は、NさんMさんに「ムシ、いませんでした」と報告してわずか30分であっけなく終了。Nさんからは「ウチの標本を見に来た人の中では最短の滞在時間でした」と記録の樹立を告げられた。肝心のモノがいなかったのだから仕方がない。でも、まあこれで安心してネオタイプの指定ができるというものだ。
それにしても、やはり寄生虫標本は寄生虫学者が作ったものでなければ使い物にならない、ということを痛感した。プレパラートにはせずとも、せめて虫体だけを取り出して小さいビンで液浸標本にしておけば,虫体が紛失するという事態にはならなかったはずである。餅は餅屋、ムシはムシ屋なのである。