独り言の続き

さて,駒大苫小牧高校野球の大会が終わるまで暴力事件を隠蔽していた云々の事件が新聞を賑わしているが,隠蔽体質というのはおそらくどんな組織にも程度の差はあれあるだろう。特に教育機関の場合は,どうしても生徒や学生の前でええかっこするから,組織的な隠蔽が生じがちだ。無論大学も例外ではないし,世間知らずの人間が多い分,他の組織より多いかもしれない。
「バレさえしなければ何をやってもOK」という考え方の持ち主に対しては,私は今さら何も言う気が起らない。しかし,前にも書いた通り,「バレるかもしれない」ということすら事前に頭に浮かばない人間,それどころか,大学が公共の場であることさえ忘れている人間に対してはどうしたらよいのだろう。
以前の勤務校で内部を二分する対立があったとき,片方のグループが自分たちの意見を表明するために記者会見を行った(当時,地方版の新聞を見た人は覚えているだろう)。それに対して反対側のグループが行ったコメントは「外部に発表するとは卑怯である」というものだった。どうやら学校はプライベートな組織であると思い込んでいたらしい。
私は,その記者会見の声明文を実験室に貼った。学生にも説明した。当たり前だが,学内で混乱が起きた時,被害を被るのは学生である。学生は,学内で起っていることを知る権利があるのである。
偉そうな事を言っているが,実は私も隠蔽していることはないではない。これは褒められた話ではない。誰しも,故郷と母校の思い出に傷がつくのはいやなものだろうが,事実が知らされなければ,何も知らないままトラブルに巻き込まれる人が必ずや新たに生じるのだ。教育機関における隠蔽は,たとえ自分が問題を起した張本人ではなくても,罪悪である。
以前,テレビのドキュメンタリー番組で,高校生の万引きの現場が放送されたことがあった。監視していた店員に捕まった高校生は涙ながらに「学校に知られると,部の仲間たちが試合に出られなくなる。警察に知らせないで」と訴えたが,もちろんこんな嘆願が通用するはずもなく,警察に引き渡された。今は更生して立派な社会人になっていることを祈るが,彼は駒大苫小牧事件を見て,あるいは実社会に蔓延する隠蔽体質を知って,どう思うのだろうか。