下筌ダムー蜂之巣城騒動日記(室原知幸著,学風社,1960年)

九州を去って九州の本を読む。昨年まで私も委託調査に参加していた筑後川,その上流のダム建設を巡る住民と官公庁との抗争の記録である。45年前の出版。私はまだ生まれていない。
私が,自分たちの調査している河川にあるダムが,かつて日本最大の公共事業訴訟の舞台であったことを知ったのは,調査に加わってから1年以上も経ち,偶々筑後川に関するある文庫本をめくった時である。それまで(いや,その後も),研究の委託者である筑後川河川工事事務所も,松原ダムの管理所の職員も,調査委員会で顔を合わせる他大学の教官も,地元の人でさえも,だれ一人このことについて語る人はなかった。それとも,寄生虫屋の私が不勉強なだけで,筑後川に関わる人は知っていて当然の話だったのだろうか。
で,そのダム訴訟の資料であるこの本(著者は反対運動の中心となった,ダム水没集落のもと住民)が本学にあることを知り,早速借りに行って2時間で読んだ。
出版社による前書きには,この記録は「日本のゆがんだ黒い霧」の一つとある。しかし,私の読後感想は,とても明るく,希望がもてるものだった。なぜかというと,著者の実に明快な民主主義(何で一発変換されんのだ!)の思想,そして反対のための反対ではなく,裁判においてダム建設の根拠となる数字をきちんと要求する,徹底して科学的な態度が貫かれているからである(もちろん,著者も拘留までされているので,感情的なもやもやが無かった訳ではないが,感情的なものは巻末の”狂歌”の中で発散されている。オトナである)。当時は戦後10年ちょっとであり,敗戦でいきなり降って湧いた「民主主義」がお役人層に十分浸透していなかったとしても,ある程度無理もないと思われる節もある。その,色濃く「お上」体質を残す当時の省庁(当時は,「住民理解」などという言葉はほとんど無かったであろう)に,情報開示と法的に正当な手順を要求しつづけたこの運動は,いわばお題目だった「民主主義」が現実のものとなるプロセスなのだ。私が感じた「明るさ」はそのへんにあるのだろう。
環境問題の解決は,常に,関係者の利害の対立の中からどれを選び取っていくかという価値判断の繰り返しだし,そういう意味では民主主義は環境問題解決の前提だ。当時の建設省も,この反対運動の件から多くのことを学習したわけで,その流れはやがて,私たちも参加したダム放流量増加にかかわる学術調査とその結果の市民シンポジウム(2004年1月)での公表ということにも繋がっているわけである。しかし,国交省はこの運動とその後のいきさつをなぜもっと公表しようとしないのだろう。官のやり方も,民主的なプロセスを経てより良い方向へ変わることができるのだという良い例ではないか。それとも,実はまだ問題は解決していないのだろうか。
今,私の手元には工事事務所からもらった筑後川の河川管理に関する種々のパンフレットがある。もう一度書くが,そのパンフに住民運動の歴史のことは一言も書かれていない。ただ,ダム湖住民投票で付けられた「蜂之巣湖」という名前がその痕跡を留めているだけである。