感冒な日

GWの谷間の出勤日。ところが、未明に異常な咽の渇きと胃がキリキリ痛むので目が覚めた。熱を計ると36度丁度、平熱は35度台なのでこれでも微熱である。
昼過ぎに胃痛も収まったようなので、今日業者が実験道具を届けに来る予定もあり、雨の中を出勤する。バスの時間が合わなかったのでまあいいやとテクテク歩いていたら、道半ばを過ぎて頭がボーとし始め、やがて意識しないとまっすぐ歩けなくなった。ともかく40分歩いて大学につき、メールチェックと事務関係だけ済ましてすぐ帰宅(帰りはバス)。帰ったら体温は36.6度に上昇していた。アホなことをした。
2日以来のOD問題のブログの反響の大きさに少々驚いている。最初はタイトルのように「今さら分かりきったこと言いおって何のつもりだ文科省(もしくは、○売新聞)」程度のつもりだったのだが。
空飛ぶ教授さんのblogに寄せられたコメントを拝見すると、このことに関する意見は人さまざまである。詰まる所、ちゃんとした能力をもつ博士ができるためには本人の資質次第か、それとも教育する側の問題か、ということになると思う。これは論じれば長くなる。もちろん本人の資質は大きいし、22歳を越えた成人の能力というのはそうそう容易に変えられるものでもないだろう。しかし、それだけを強調して「だから大量採用の院生はだめだ」とすべて学生の所為にするのは明らかに自らの教育放棄だと思う。私が学生だった頃の大学院はまさにこういう方式で、内部でも「殿様商売」と陰口を叩かれていた。教育というよりは、「叩かれて潰れる者は潰れたらよい」という発想である。
かといって、どんな学生でも教育次第でちゃんした博士になると思うのは、これまた事実ではないし、自らの教育能力過信である。はっきり言うが、論文を書かない学生をいつまでもだらだらと在籍させておくのは学生にとって不幸だ。大学院で年齢を重ねることは就職にとってマイナスになるというリスクはわかりきったことだ。結局は、きちんと将来の見込みのある学生を取り、それを教育能力のある教員がちゃんと育てること、それに尽きると思う。わかりきったことだし簡単なことでもないが、それ以外に有効な道はないだろう。
もう一つおまけに、昔の博士はおしなべて質が高かったのかというと、私は決してそうは思っていない。
さて、今日は固形物は何も食べていない。お粥でもつくるか…