セクハラ論など

昨日の「長文のコメント」に対応していたら,福岡に残してきた標本(※まだ福岡に学生が残っているので,その卒論に必要な文献や標本はむこうに置いたままだ)を再観察する必要が出てきた。送ってもらうか自分が出向くか,さあどうする。
この大学でも前任校でもそうだが,少数派の女性教員としてよく周囲から尋ねられるのは「何をするとセクハラになるか」である。教員からも学生からも聞かれる。私の個人的な感覚では,単なる下品な言動などはさして気にならない(品性のなさを嘲笑するだけである)。許容できないのは犯罪に該当する行為(当たり前だ),および立場の上下を利用した嫌がらせである。これがどの程度不愉快なものかは,抽象的な話に聞いただけではなかなかわかりづらいものである。であるから,私は上記のような質問を受けると,自分が直接知っている例をできるだけ具体的に説明することにしている。
セクハラの真の問題点は,相手の人格を無視することにあるのだ。だから,私の知っている例では,セクハラ歴のある教員は必ず他にも勤務態度や教育,人権上の問題を起しており,セクハラは多くの問題の一角に過ぎないのである。それからもう一つ言えることは,往々にしてセクハラをする人は,事前に「こういうことをすると処分されるかもしれない」という危険性を予測する能力を持っていない,ということだ(これは実例を知っている。本当である)。私がセクハラ教員は容赦なく処分すべきだというのは,セクハラそのものの有害性もさることながら,そういう頭の悪い人間が同じ職場の同僚に存在するのは耐えられないからである。いろいろ大変だから。