標本の運命

分類学というのは生の生物研究プラス過去の標本研究プラス過去の文献調査で成り立っているので、後者2つは各地の博物館や図書館に眠る古い標本や文献をたどるのが主な仕事となる。どう見ても文献学とか資料学という文系分野の研究だ(もう一つ面倒な仕事に命名規約の解釈があるが、これは完全に法学)。そういうものを探していると否応なく出くわすのが、資料を収集・保管してきた人間の歴史である。寄生虫学の標本でも、20世紀前半までに作られたものには第二次大戦の戦禍で失われたものが少なくない。フィリピンの寄生虫標本は大半が亡失しているし、日本でも桂田富士郎が所長を務めた神戸熱帯病研究所が空襲で消失している。今回、検討してみたいと思った寄生虫は20世紀初頭にケーニヒスベルグで記載されたムシであった。当時はドイツ領で現在はロシア領(カリーニングラード)、第二次大戦の激戦地という場所なので、まずどこに問い合わせれば手がかりが掴めそうなのか見当がつかず、とりあえずドイツ、ロシアの両国の知り合いの寄生虫学者に、当時の標本についてなにか情報を持っていないかどうか尋ねてみた。ドイツの方は人脈を辿ってベルリンまで到達したが情報は得られず「おそらく大戦で残っていないだろう」という返事のみ。ロシアの方は「そのとおり、ありません」とだけ返事が来た。あと可能性が残っているのはポーランドだが、これも事情通の方によると、そもそも戦前から継続している博物館がないということなので極めて望み薄だろう。どうやら目的の模式標本はこの世にないと考えるのが良さそうだ。寄生虫標本を探しながら、ほんのわずか第二次大戦前後のヨーロッパの歴史を自ら辿った気分になる。