土曜日の陸水学会企画シンポのまとめを書かなければならないが、もう一人のコンビナーや参加者の感想を聞いていると、このシンポの目的が必ずしも参加者に正しく伝わっていなかったのではないかという思いがだんだん強くなってくる。コンビナーとして趣旨説明や最後のまとめが力不足だったと反省せざるを得ないが、ここに改めてもう一度、シンポの趣旨とまとめをupしておく。

日本陸水学会企画委員会主催公開シンポジウム
「環境教育と陸水学〜善悪を超えて」

趣旨:地球温暖化などグローバルスケールでの議論が必要な環境問題が進行する中、わが国では義務教育段階での環境教育へのニーズが高まっている。これに対応して平成23年6月15日に、「環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律」の改正法である「環境教育等による環境保全の取組の促進に関する法律」が公布され、平成24年10月1日に完全施行された。しかし主要官庁である環境省文部科学省ともに、NPOなどの民間との連携を強化する一方で、関連する学会との連携は全く視野にいれられていない。さらには改正法自身、環境教育における科学的知見や考え方の重要性について、ほとんど触れられていない。
水環境は陸上の環境と異なり、多くの国民にとって見たり感じたりすることが困難な水面下で生じる事象である。このため、いわゆる経験知とされるものが、科学的検証が為されないままに義務教育で教えられている場合も見られる。そこには,EM菌による水質浄化のような,科学とは言えない例までが教育現場に入り込んでくる余地が生まれている。また,水環境問題は明白に複合的なものであるが,学校教育では「水質浄化」一辺倒になりがちで,近年重要視されている人と自然のかかわりや、生物多様性といった多様な視点から捉える試みはまだ発展途上であると言ってよい。
 このような状況に対して,陸水学会は、事象を総合的に解析する陸水学的な考え方を環境教育に広めることが必要であると考える。
本シンポジウムではこのような観点から、教育現場における科学的かつ総合的な環境教育を目指して、陸水学会がどのような貢献ができるのか、陸水学会は何をすべきかを議論することを目的とした。

まとめのkeynoteファイル(pdfに変換済み)はこちらをクリック

講演の前半は主に保全分野で活躍している研究者、後半は教育現場に詳しい諸氏から話題提供をしていただいた。ところが、ちらほら聞こえてきた参加者の感想をまとめると、特に研究者には後半の話題にはほとんど関心を持ってもらえなかったようなのである。しかし、私は前半の講演は「話題提供」であって、問題の本質は後半の各講演にあったと思っている。環境教育をめぐって教育現場で起きていることの普遍的な原因を探り、その解決のために学会としてどういう貢献ができるか模索することである。

環境保全という問題にとって、科学は明白にその一部に過ぎない。環境の理解に理科は必要だが、それだけでは絶対に問題解決に至ることはないのは自明だ。ところで、義務教育の理科は、科学的思考のイロハを教える段階である。そこで、科学だけでは解決できない環境保全問題を取り上げるのははたして妥当かどうか、よほど慎重にかからねばならないと思う。科学の魅力は明らかに「論理的に結果が出せること」にあり、初歩の教育段階からそれを離れることは、子供が科学の大切さを軽視することになりかねない。環境教育にとって、周囲と協調して問題解決を図ることや実践の大切さは言うまでもなく、環境教育等促進法にもあるとおりだが、それは人文社会学で扱うべきことであり、科学ではない。また、伝統的に理科の範疇に入れられている内容であっても、科学的な理由付けが非常に面倒で情緒的な判断に流れやすいもの、たとえば「水のきれいさ」や「自然保護の大切さ」は、少なくとも初等理科では扱うべきではないだろう。小学校の教員は大部分が文系であり、こういう非常に多面的な問題を教えるには荷が重すぎる(理系の大学教員の私だって、小学生にこんなことをやさしく教える自信はない)。こういうことは、社会科や生活科、あるいは国語の教材などで取り上げるのが相応しい内容である。環境学のうち、科学として扱えることと扱えないことはきちんと分離しなければならない。順応的な生態系管理なんて,学習目標を「過去に学ぶ」ことと考えれば、歴史の授業で扱ってもおかしくないかもしれない。公害は歴史で扱うし。
これから陸水学会でもこういう教育問題に対処する常設の委員会を作るよう、働き掛けていこうと思っているが、まず義務教育で何を教えるべきかという教育論から始める必要がありそうである。